テレビゲームと「本当の時間」  黒野雅好 |  上へ戻る  

 プロフィール
黒野雅好
ENGAWA desingnチーム。大手建設会社に勤めながらも、春日井市の高蔵寺でコーポラティプ住宅・木附の里に住まう建築設計士。温厚で物静かな人柄であるが、仕事になるとあたりまえのことなのだが、妥協を許さない厳しさも持ち合わせている。家庭においては良き夫、良き父親である。
 昨年のクリスマスにサンタさんが我が家にもやってきて、不覚にもニンテンドーのDSなるテレビゲームを子どもたちへのプレゼントに置いていった。

ボタンピコピコ、単純な刺激と反応の繰り返しである。ゲームについつい夢中になってしまうこどもたちを、横から見ていると不気味ですらある。M=エンデの「モモ」に出てきた灰色の男たちが本当にゲーム機の傍らに居て、こどもたちの魂から、かけがえの無い「本当の時間」を、どんどん吸い上げてゆく様子がはっきり見える。

で、本当の時間ってなんだろう。それは子どもの心だけが感じることのできる全体知。永遠の現在のこと。本を読んだり、おとぎ話に耳を傾けたり、風や光を心とからだ全体で感じたり。刺激と反応からなる皮相な感覚世界を突き抜けて、思考とイメージの世界に沈静化する時を、子ども時代に多くもっておくことの大切さは、どんなに強調してもしすぎることはない。

ゲームメーカーは本当に罪つくりなことをしていると思う。自分たちがこどもたちに何をしているのかが分かっていないから余計にたちが悪い。そういえばテレビーム亡国論なんてのもあったような。というわけで、我が家の子どもは、ゲームの時間を一日1時間以内にすることというパパとの約束を守れず、ゲーム機をいまだに取り上げられたままである。

コスプレサミットと市民参加 沼田真一 |  上へ戻る  

 プロフィール
沼田真一
イベントプランナー。大学時代には都市計画を専攻。卒業後ビッグバン・ハウス株式会社に入社。愛・地球博プロデューサー小川巧記の下、多様な人間で作られる「市民参加型の万博」にプランナー、ディレクターとして参加。学生たちを中心とする奇抜で斬新なプロジェクト群を展開、中部圏のメディアを制覇。高い評価を受ける。プランニングキーワードは「つながり」「アウトカム」。現在、週の前半は東京、後半名古屋と行き来しながら、新しい「つながり」デザインしている。
 沼田です。(沼田についてはここhttp://blog.so-net.ne.jp/numa0806/やここhttp://www.numata-labo.com/をご覧ください)

 さて、何を書こうかなと迷ったのだが、絶対にほかの方が書かないことで、「コスプレサミットと市民参加」としてみた。
 コスプレサミットとは、簡単にいうと、ゲームがマンガ、アニメなどの登場人物の格好をした人々で、その衣装の優劣、演出の優劣を一定のプレゼン時間で競うというもの。参加者はまさに世界各国から集まり、競いあうのである。

 コスプレする人のことを「コスプレイヤー」と呼び、略して「レイヤー」呼ぶ。(ちなみに、別に沼田にそういった趣味はない)

 このコスプレサミットは東京の秋葉原でなく、ここ名古屋で開催されており、名古屋ローカル局のスポンサーが全面的にバックアップし、2006年で、もう5回目を迎えている。驚くべきことに外務省と国土交通省からの後援をもらっている。

 2005年には愛知万博内で、さまざまな困難と反対を押し切って開催し、「残酷な天使のテーゼ」を6ヶ国語で歌い、「ドラゴンボールZ」のオープニングテーマで会場総立ちのエンディングを迎えた。「コスプレは世界を救う!!!」という宣言を行い、大いに共感し、実現性を感じた沼田なのだが、このコスプレは限りなく市民参加型のイベントとして、驚愕するものである。参加者はすべて自腹で参加し、海外の参加者などはその宿泊費なども考えれば莫大な出費である。そこまでして、なぜ、彼らはこのイベントに参加するのだろうか?

 2006年の優勝はブラジル代表の兄弟で、感極まって泣き出していた。彼らの話によると、イベント前日はみなでカラオケに行き、意気投合したらしい。初対面の彼らが(しかも世界各国、言語はばらばら)カラオケで意気投合するのを想像してみると、なんとも微笑ましい、楽しい絵ではないか。

 アニメやマンガという日本産のコンテンツで、人が争うこともなく、歌いながら親しくなることができるとしたら、この事実に沼田は大いなる希望を感じずにはいられない。どのような政治的な論争、政策、法律よりも、グローバルな市民レベルでは一つのアニメがこの様な交流を可能にしてしまうのである。海外の人間と話をするときにアニメやマンガの話をすると当たり前のように「I like it」といわれる。意外な人が意外な作品の名前を出すので驚く。

 ここに市民参加における何か大事なヒントがあるように思える。

 市民参加においては行政、企業、NPOなどそれぞれのセクターにおける役割やパートナーシップの構築などが議論されており、まちづくりにおけるその重要性は年々高まっている。が、どこでも一筋縄ではいかないし、時間もかかり、その成果や継続性などについては常に疑問が残る。

 人は「正しいもの」に集まるのでなく、「楽しいもの」に集まる。そして「楽しさ」とは国境も言語も超えて共有しあえる。私たちはまだつながることができる。そう確信したイベントだった。アニメは偉大なり。

 この「コスプレサミット」は上海万博への参加を勝手に宣言し、この勢いを見るに、実際に実現してしまいそうな予感さえする。

 コスプレが世界を救う日は近い。

遠景、近景 森 登 |  上へ戻る  

 プロフィール
森  登
ENGAWA desingnチームのリーダー的存在。
自分の設計事務所を持ちながら、縁側マインドを広めようと、育くみ隊に関わる。一宮三八市広場、浜田のまちの縁側支援など、温厚な人柄そのもののような、まろやかな設計を得意とする。
 早朝6時頃、庄内川の堤防を車で走っていると 川をはさんで名古屋駅地区のビルが左前方に見えます。庄内川の色、河川敷の緑、首都高速や名鉄電車の赤、空の色、空気の色や匂い・・・キャップをかぶったジョギン中のおじさん 犬に手を引かれた太り気味のお母さん タオルを片手に持った散歩のおばあちゃん 自転車に空き缶袋を思いっきり結わえたヨレヨレノおっさん のんびりした風景です。名古屋駅から車で10分程の距離なのに、不思議な気分です。

 もう少し早い時間に行くと朝焼けの中にビルが見えることもあります。ハッキリ色まで見えたりかすんだり、黒っぽく見えたり雲の中に隠れたり、天気都合でいろいろな表情を見せてくれます。ビルは4本、すぐに5,6本に増えるでしょう。名古屋が元気?の象徴ですかね。
 一方 名鉄名古屋駅を降りると、目の前にガラスのバカデカイ壁が立ちはだかります。

 「な・な・なんだこれは、おいおい、いい加減にしろよ。」

 私だけでしょうか こんな気分になったのは。皆さんはいかがでしたか? これも名古屋が元気の象徴だからOK? でもスケールアウトしていると思うのですが。ここは主要幹線道路と違って、いろいろなスピードは遅いのですから、こんな大雑把なデザインはNGです。

 「駅を降りた人をおもてなししよう」というよりは 「知らん振り」な表情に思えてなりません。
 このガラスはショウルームのように「透ける」のですかね。夜になると行灯のように ぼーっと明かりが点くのですかね。どなたかご存知ですか?教えていただけないでしょうか。


ああ、夏休み 木村麻子 |  上へ戻る  

 プロフィール
木村麻子
 会計担当
北海道の不動産屋さんに務めている時に延藤先生の講演を聴き、その後、引っ越し先の名古屋の新聞で育くみ隊の設立を知り、以降会計入力業務を担当してくれている。
 北海道から名古屋へ移り住んで、はや4年目。ウチの子は3年生なので、幼稚園から数えて夏休みも4回目だ。

 北海道の夏休みは短い。7月25日頃から、8月お盆明け頃までの25日間。(そのかわり冬休みも25日間。)お盆を過ぎる頃には、夏は終わり。秋風が吹き始め、そろそろ長袖という季節になる。だから、自分の夏休みは、あっというまだったなあ。夏休みの思い出と言えば、一番暑いときに、今しか海にいけないっとばかりに、かろうじて1回だけ海に行く。暑いといっても、その日の2時に最高気温30度でした、という程度。水も冷たく、海岸では必ず焚き火をする。バーベキューをするためじゃなくて、暖をとるため。そんな海水浴を1回して、ラジオ体操、花火、近所の子とたっぷり遊んで、あわてて宿題して(でも今の子より宿題すくなかったなあ)すぐに終わってしまう。

 それに比べ、名古屋の夏休みのなんと長いことか。40日間、1ヶ月以上!子どもだったらうれしかったろうけど、大人の私には、なが?い夏休みを子どもにどう過ごさせるかが悩みのたね。仕事をしてなかったときは、40日間も子どもと顔をつきあわせるのにうんざりだし、パート勤めをしている今はその間子どもをどうしようと頭を悩ませる。

 そしてまあ、夏休みの暑いこと!そりゃクーラーのない教室では勉強は無理だなあ。夏休みって暑いから休むんだなあ、と夏休みのほんとの意味を体感する毎日。(ああ、ほんとに大人はどうして働いているのか。1日中のんびりしてたいよ、この暑さでは)

 まあ、子どもと過ごす夏休みもあと数年、できるかぎり楽しまなくちゃと、北海道のおばあちゃん家への帰省、お祭り、スポーツクラブの合宿、家族キャンプ、滋賀のおばあちゃん家へ行って墓参り、ああ、プールも海も行かなくちゃ。もりもりだくさんの夏休み。北海道にいたらできなかったなあ。名古屋に来てよかったことのひとつかも。でも、ああ、やっぱり暑い! 名古屋の夏休み。


愛しのココ   中島智明 |  上へ戻る  

 プロフィール
中島智明
 まちの縁側癒しのデザイナー
一般企業のエンジニアでありりながら、まちの縁側MOMOの中庭、及び玄関まわりの木々の手入れや雰囲気づくりをひとりで黙々と担っている。気配りの人でもあり、人々が喜ぶ顔の大好きな心優しき人


 こんにちは。育くみ隊の中島です。梅雨のじめじめした時期ですが、みなさんはいかがおすごしですか? MOMOでは、先日メンバーの藤森さんと竹とんぼ作りをしました。そのとき、あらためて庭の木々を見ると、成長著しいなと思いました。約3年前に植えたネコヤナギは2mを越えるほどになり、山モミジやシマススキも根づいています。玄関先のケヤキの新芽はみずみずしく、朝顔のツルも日に日に延びています。

 こうして木々や花たちに囲まれ、自然の香りを肌で感じられることは幸せなことと思っています。そうしてもうひとつの〈庭の華〉は、大家さんの愛犬ココです。もうおなじみかもしれませんが、ココは縁側に来た人に吠えたことは一度もありません。尻尾をふって寄ってくる人懐こい表情をみると、つい笑みがこぼれてしまいます。

 しかし、最近困ったことがあります。道祖神の像をいただいたので、そこに至るべき尊さに感謝の気持ちをこめて小道を作りました。しかし、翌日、ココがその道を掘り返してしまったのです。すぐに掘れないように石や陶器を埋めて、小石をひきました。すると翌日、道の上にココのウンチがあったのです。

 そのときは犬だから仕方がないかとあきらめました。しかし、しばらくして夜勤明けの朝、MOMOに寄って家に帰ろうとしたとき、道祖神へと至る尊き道の上にココが座り、いま正にココの体から”実”が出ようとする瞬間だったのです。

 思わず、心の中で「ココ、やめてくれー」と叫びました。すると私を察したのかやめて、尻尾をふってうれしそうに??? 寄って来ました。やはり憎めない奴…。思わず笑ってしまいました。

 これも縁側の楽しい光景のひとつだと思った方がよいのかもしれませんネ。


縁側ライブ IN 杜の宮市   高野香織 |  上へ戻る  

 プロフィール
高野香織
 学生でありながら「縁側だより」編集人。文、構成もさることながら縁側的イラストも得意とする。 「縁側だより」のみならず、まちの縁側育くみ隊のチラシの数々を作成する。


2006年5月21日(日)
育くみ隊の皆さんと一緒に「杜の宮市」というイベントに参加しました。
ブースで行なう書籍販売の“客引き”も兼ねたミニ・ライブで、私が歌わせ
てもらえることになったのです。「縁側ソング」の本家・かとう たけしさん
には ギター伴奏をしていただくことになりました。

せっかくなので(?)
この機会に自分なりの「縁側ソング」を作ってみたいと思った私。
実は趣味で、もともと作詞・作曲をするのが好きなのです。
いろいろ考えて『縁側ソング‐COCO編‐』という歌が出来上がりました。
その名のとおり歌詞の中に、犬のCOCOが登場します。

もう一曲、有名なaikoの歌を、縁側ふうにアレンジした
『カブトムシ 替え歌・育くみ隊バージョン』というのも作りました。
これは、MOMOで歌の練習をしていたときに、中島さんが発案してくださ
いました。替え歌は初めて作ったのですが、なかなか難しくて面白かった
です。

そして「杜の宮市」当日。
前の日まで雨続きのお天気だったのに、その日はすっかり快晴でした。
気温も上がって日差しの照りつけるなか、多くの人々が会場の真清田神
社を訪れました。

ライブの予定はお昼の12時過ぎだったので、その前にご飯を買いに行き
ました。暑かったのでビールも買って飲んでしまい、ほろ酔い気分。それ
でも歌うときにはちょっと緊張しました…。ブース付近で椅子に座り、路上
ライブのような格好になったのですが、目の前のお客さんと通りがかりの
子どもたちに囲まれて、夢中であっという間に2曲、歌い終わってしまいま
した。

その後しばらくして、
まだ、歌い足りない私の気持ちを察してくれたのか
たけしさんから「飛び入りステージに予約してきたよ!」との朗報が。
今度はマイク付きで、さっきよりお客さんもたくさんいました。
そのせいでまた緊張したのですが、やっぱり人前で歌うのは気持ちがい
い…と実感。もっと歌いたい気がしつつも、満足して帰ることができました。

こうして、私の「初・縁側ライブ」の1日は、幕を閉じたのでした。

育くみ隊の皆さんには
いつも、私の“やりたいこと”を快く受け容れていただき
本当に、自分の好きなように、楽しく活動をさせていただいているなぁと
日々、感じています。

ありがとうございます。
そしてこれからも、どうぞよろしくお願いします。


桃の節句   高橋きぬ子 |  上へ戻る  

 プロフィール
高橋きぬ子
 
 お正月、七草粥、鏡開き、豆まき(節分)と、あっという間に冬から春へと時が経っていきます。風はまだまだ冷たいですが、どことなく、春の香がすると思いませんか。3月になると、今度は桃の節句です。我が家には男の子しかおらず、桃の節句と言っても、ただなんとなく過ごす事になるだろうな・・・と思っていたところ、ご近所さんから「娘が初節句なので、おばあちゃんに用意してもらったお雛さまを見に来てください」とお声かけがありました。「マンション住まいなので立派な物ではありませんが・・・」とのお話でしたが、いえいえ、とっても立派なお雛さまでした。お母さんは「来年、出せるかしら・・・?一応、写真はとっておいたけど、どのお人形さんに何を持たせたらいいのか忘れてしまいそう・・・。」と、心配そうにされていました。そうですね。私も、同じ立場でしたら、困ってしまいます。
 私にとって、桃の節句とは・・・。子ども心にお雛さまを出してもらって雛あられやひし餅、ちらし寿司を食べる日。と思っており、一体、何のための日であるか、などとは考えた事もありませんでした。しかし、子どもを持つ年になってはじめて、何の意味があってどのように子どもにお祝いをしてあげたらいいのか知りたいと思うようになりました。まさに、これこそ「子育てとは親育て」ですね。


●桃の節句の由来●


■桃の節句は、平安時代から

  桃の節句の起原は大変古く平安時代に遡ります。昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。

■上巳の節句が桃の節句へ

  平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。

  室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。

■初節句のひな祭りは、身のけがれを祓う災厄除けの行事です。

   ひな祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着して行ったお祝いです。ですから単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事、いうなればお雛さまは、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなもの。気持ちの問題ですが、省略せずにきちんとお祝いしてあげてください。

2005年2月5日から4月10日まで、「まちの縁側MOMO」からほど近い、徳川美術館で「尾張徳川家の雛まつり」が開催されているとテレビで知りました。(早速ホームページも調べました。→http://www.cjn.or.jp/tokugawa/)子育てで疲れきった心と体を癒しに、息子(0歳7ヶ月)を連れて見に行きたいなぁと思っています。息子よ、頼むから美術館内で泣かないでね!


ニセ札   坂野慎司 |  上へ戻る  

 プロフィール
坂野慎司
 古美術商
 商売柄だましたり、いや、騙されたりすることがある。自分にも多少のエピソ−ドはあるが今回は大先輩の経験。遊びの旅でインドネシアに出かけた時のこと、街歩きするうちに小屋掛けの露店に壷やら皿やらを並べたところに出会った。となると見過ごしに出来ず、染付の小鉢や欠けた碗などをひっくり返すうちにチラッと赤い色が見えた。かき分けて手に取ってみると七寸(20センチ)ほどの呉須赤絵の中皿、見込みは草花、縁は七宝や青海波でいつもの柄、なかなか豪華だ。この手は景徳鎮と違って福建の窯なので奔放な筆遣い、裏は高台辺に砂がまぶされ、これもお約束。

 さて先輩を業者と知るべくもない露天商あいてに値段の交渉、もともとさほど高いわけではないのだがそのまま買う手もない。日本人観光客が闇雲に値切ったり、言い値で買ったりするのはどちらも不適当。しかるべく交渉して適当な処で手を打つのが正しい。というわけで最初の値から六掛け、邦貨で一万円ほどにしてもらってニコやかに握手。

 さてあちこちしてホテルに戻り夕食、ほろ酔いでお風呂に入りかけた先輩、思い出してキレイにしてやろうと、少々汚れた皿に湯をはり頭を洗いかけた。シャワ−にかすむ眼でヒョイと皿を見るとなにやらぼやけ、少々にじんだように見える。

 結局、絵柄の流れて消えた皿に先輩は笑うしかなかったという。あまりにも素朴な方法で怒る気も失せたらしい。でも二本の染付の線だけのその皿はそれなりに味があってよく使うという。ここが大切と思うのだが、豪華な絵付けも本物でなければ意味がない。下絵付けの半製品でも楽しい品はある。掘り出し、という気持ちにスキがあったかなと反省した、と。

 昨今の偽札騒ぎを聞くに付け、高額の偽札よりも少額でも本物の価値。ふと、そんなことを感じた。ところが、こう書いたところでニセ500円硬貨のニュ−ス、いやはや。


七草粥   村田尚生 |  上へ戻る  

 プロフィール
村田尚生
 愛知学院大学情報社会政策学部助教授


 芹、薺、御形、繁縷、仏座、菘、清白。なんともお経のような漢字が並びましたが、いずれも春の七草です(下表参照)。最近では、1月7日が近づくと、スーパーで七草粥セットなるものが売られます。でも、これらの植物はいずれも野草。よく見ると道端にあるものがほとんどです。七草をセットにして、398円也。お手軽だけどこれでいいの?って思いませんか。どれが七草でどれが雑草かなんて見分けられない、というのが現代人の言い分かもしれませんが、生きる力が弱まっているような気がしてなりません。

 ところで、なぜ1月7日に七草粥なるものが食べられるようになったのでしょう。もともとは小正月(1月15日)に粥を食べる習慣があったそうです。このときの粥は七種粥(ななくさがゆ)で、米、粟、きび、ひえ、みの、胡麻、小豆などの七種類の穀類を入れてつくったものだそうです。それが、いつの間にか、おせち料理で疲れた胃をいたわる意味に変わったようです。実は、この1月7日は人日(じんじつ)の節句で、3月3日の上巳(じょうし)の節句(ひなまつり)、5月5日の端午(たんご)の節句、7月7日の七夕(たなばた)の節句、9月9日の重陽(ちょうよう)の節句と並んで、季節を祝う行事なのです。この人日の節句に七草粥を食べて一年の無病息災を祈るのが本来の意味です。生の野菜が不足しがちになるこの時季に、野草からビタミンを補給するだけでなく、それぞれにある薬効効果をいただく。なんとも理にかなった行事ですね。

 さて、この七草粥の作り方ですが、非常に簡単。ナズナや蕪、大根などの根の部分はお粥を炊くときに一緒に入れ、残りの葉っぱの部分は炊き上がってから混ぜます。味付けは塩だけ。あっさりとして春の香りが楽しめます。でも作るときにもう一つポイントがあります。それは、七草を刻むときに唱える歌があるのです。地域により歌詞はさまざまなようですが、愛知県日進市に伝わるのはこうです。「七草なづな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に 七草生やしてトントントン」。

 さまざまな願いが込められている七草粥。里山で七草を摘んで、七草粥をつくるイベントが、日進市で行われます。是非みなさんご参加ください。

名前 解説 写真
セリ 若菜は香りが良く、お浸しなどの食用に。消化を助け黄疸をなくす。「競り勝つ」の意 セリ科
ナズナ 「ナズナ」の別名は「ペンペングサ」「シャミセングサ」。視力、五臓に効果。「撫でて汚れを除く」という願い アブラナ科
ゴギョウ 御形 「ゴギョウ」は「ハハコグサ(母子草)」のこと。「オギョウ」とも。吐き気、痰、解熱に効果。「仏体」を表す キク科
ハコベラ 繁縷 「ハコベ」のこと。歯ぐき、排尿に良い。「繁栄が蔓延る」の意 ナデシコ科
ホトケノザ 仏座 現在の「ホトケノザ(シソ科)」ではなく、「タビラコ(田平子)」を指す。歯痛に効く。「仏の安座」を表す キク科
スズナ 菘・鈴菜 「カブ(蕪)」のこと。消化促進、しもやけ、そばかすに効果。「神を呼ぶ鈴」を表す アブラナ科
スズシロ 清白・蘿蔔 「スズシロナ」の略で、「ダイコン(大根)」のこと。胃健、咳き止め、神経痛に効く。「汚れのない清白」を表す アブラナ科


水仙   川澄一代 |  上へ戻る  

 プロフィール
川澄一代
 まちの縁側育くみ隊会員


 今日は今年の8月から通っている華道教室に行ってきました。お稽古は月に3回、土曜日に行われています。お稽古中のゆるやかに流れる時間と背筋の伸びる感覚の入り混じるひと時が、私の心を軽やかにしてくれます。

 今日の課題は“水仙”今年は台風の影響で水仙も多大な被害を受け、いけるのが難しいと聞かされていた先輩たちがとても嬉しそうなのをよそに私は、“なんだ、今日は水仙だけか・・・。お花が一種類なのは寂しいなぁ”と思っていました。

 水仙のいけ方は、まず根本の袴と呼ばれる部分を一度はずします。それから葉と花の長さを切りそろえ、葉の曲がりや反りを直し再び袴をはかせるという手順です。言葉で書くと単純な作業ですが、力任せに葉を直そうとすると裂けてしまったり、折れてしまったりしてなかなか上手くいきません。手先から伝わるに感覚に耳を傾け、葉に心をよせながら少しずつくせを直していきます。一心不乱に“水仙”と戦うこと1時間半(先生の助けをかなり借りて)、なんともシンプルな“水仙”をいけ終わりました。

 また、先生のお話によると“水仙”の花は一花四葉が基本だけれど、時期が早いと葉は三枚、遅いと五枚になってしまい、昔の人は葉を観て移りゆく季節を感じ四葉の“水仙”との時間をとても大切にしていたのだそうです。

 一見簡単そうに見える“水仙”は、シンプルなものほど時間と手間をかけなければ美しくならないこと、人との出会いは「出会ったときが一花四葉」自分の気持ちを押し付けるのではなく、相手の気持ちに心をよせることの大切さを教えてくれたような気がします。


燈花会   大久保康雄 |  上へ戻る  

 プロフィール
大久保康雄
 脳性麻痺という障がいを持ちながら、小中高校の総合学習の講師や福祉のまちづくりの提言などを続ける。ライター、紙芝居一座『風穴一座』の座長、まちの縁側育くみ隊理事を務める。


 古都の新しい夏の風物詩<燈花会>をみるため、久しぶりに奈良へ行ってきました。

 <燈花会>とは、8/5〜15日にかけて奈良公園周辺を<満天のエリア><舟灯りのエリア><ホタルのエリア>など7つのエリアに分け、それぞれ演出に工夫を凝らしたろうそくの灯をともして古都の夏の夜を彩ろうというものです。とりわけメイン会場である浮雲園池の<満天のエリア>では4千個のろうそくの灯が散りばめられ、水面を渡る風にその灯りがゆらめき、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

 また、燈花会では「一客一燈」といって、<満天のエリア>と国立博物館前の<月灯りのエリア>では、参加費を払えば自分の願いを込めたろうそくを一燈だけともすことができます。実際、<月灯りのエリア>でろうそくに灯りをともしている、浴衣姿の若い女性を見かけました。まわりが薄暗く表情までは覗うことは出来ませんでしたが、ろうそくの灯りを受けて垣間見えた、そのうつむき加減の横顔から、女性の真剣な<想い>が伝わってくるかのようでした。彼女は一体どんな願いを、ろうそくの灯りに託したのでしょうか…。

 <願い>それは人の数だけあるでしょう。人によってはいくつも持っている人もいます。「恒久平和」とか「健康で長生き」などの誰もが普遍的に持っている願いもあれば、本当に個人的な願いもあります。そのすべてが叶うならば、人々はどんなに幸せに暮らしてゆけることでしょう。しかし、どんなに強く求めていても、叶えられない願いもあります。

 そんな人々の叶わなかった願い、届かなかった想いは一体どこに行くのだろうか…と、若い頃考えたことがあります。どこにも行きはしないのですね。叶わなかった願いをきれいにあきらめて新たなる願いを持つ人もいるでしょうが、自分の中に静かに沈ませてゆき、それを自分の<核>として大切に育くんでいる人もいます…。

 燈花会の各エリアをめぐり、数多のろうそくの灯りを眺めながら、息苦しいほど厳粛な気持ちになりました。風に揺らめくろうそくの灯りに託した人々の願いが、どうかひとつでもふたつでも叶えられますように…。思わず願わずにはいられませんでした。
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