まるい参画
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今日のテキスト
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ドン・キューピット著、山口菜生子訳:最後の哲学、青土社、2000年
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今日の曲目
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ベートーベン:交響曲第9番「合唱」、ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ 放送交響楽団、RCA、BVCC8925/26
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プロフィール
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宮西悠司
昭和19年横浜市生まれ。東京都立大学建築工学科卒、昭和45年から神戸・地域問題研究所を主宰、昭和6l年まちづくり(株)コー・プラン取締役。神戸市まちづくり専門委員を務める一方、住民主導型のまちづくりを提唱。真野地区など住民の中に直に入って、街再生の助言を積極的に行い、最近は、まちづくり狂の狂祖と呼ばれる。また「神戸の建築を考える会」の事務局長として、近代建築保存運動の推進役ともなっている。
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12月18日、神戸の兵庫県公館で「場と縁の継承・再生」というテーマで国際会議があった。山口半六が設計したフランス・ルネッサンス様式の会場は、貴婦人のような清々しい表情をもった人々をつつみこむ親密な空間であった。
プロジェクト・リーダーの桑子敏雄先生(東京工大教授)、実行委員長の岡田真美子先生(兵庫県立大学教授)と仲間たちの全体企画とプログラムは感動きわまるものであった。ぼくは、1日目のパネルディスカッション「空間の継承と再生」と2日目のワークショップ「参画のデザイン」を担当したが、ここでは、後者についてふれておきたい。
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この会議は震災10周年記念にも位置づけられており、会場が神戸でもあるので、ワークショップ「参画のデザイン」の冒頭、ぼくは長田区真野地区の震災前後の住民主体のまち育てとコレクティブハウジングづくりの「ゲントーク」(幻燈会+トーク)を行なった。その後、これを糸口に討論が行われた。幸いにも、当日その場には、真野地区に30年かかわり続けている自称「まちづくり教祖」宮西悠司氏がいたので、参加者からの質問に対して、彼からまことに深い示唆に富む話をしていただいた。この日の真野まちづくりの応答を通して「参画のデザイン」の普遍的条件のキーワードが次のように明らかにされた。
1 まるい参画
世間ではワークショップをやれば、参加のデザインができたと思う節があるが、それは応々にして形式的な参加、アリバイ的参加に陥りがちである。それは△。むしろほんまもんの「○い参画」とは何かが問われねばならない。真野のまちづくりの全過程には、次のような「まるい参画」の諸条件がひしめいている。
2 地域文化のタンケン・ハッケン・ホットケン
地域固有のくらしの文化のタンケン・ハッケン・ホットケン−ドナイスルケン?を真野ではやってきた。例えば、戦前長屋街区には路地文化が残っていた。そこでは、「家は狭いけど心は広い」と語る住民たちが住んでいた。この生活文化的資源は、コレクティブハウジングをつくる時に、続きバルコニーとして生かされ路地文化の継承・再生を果たされた。
3 按配のいいつながり
まち育ては、人と人の間を育くみつづけることにつきる。創造的まちづくりとは、人間関係づくりのソフトをエネルギーにしてハード(空間)づくりに至ることであり、ハードとソフトの間に相互に浸透しあうつながりのデザイン・プロセスである。
4 ネゴーション、議論の場の豊かさ
宮西さんは、まちには政治があるという。国の政治に国会議事堂があるように、まちにもまちづくり議事堂がいるのではないか。フォーマルな議事堂での討議の前後には、赤坂の料亭で密談が行われるように、真野では、飲み屋で住民たちはまちづくりをサカナにして酒を酌みかわし、対立的課題を接渉しつつ解きほぐしているという。このインフォーマルな対話の場の豊かさが、まちづくりのダイナミズムを支えていく。
5 所謂生活者としての住民のイメージをこえて、政治的存在としての住民
政治家が対立を好み、対立をバネにして自己の存在証明をしていくように、地域住民も所謂生活者としての立場をこえて、利害調節を創造的にはかる政治的動きをする。しかし、住民は利権の構図の中にはまる「政治」ではなくて、まちの未来と子どもの世代のために、何を目指すかというコンセプトを生命のように大切にする高い立場からの、そして、トラブルをエネルギーにかえるというしなやかな発想からのもうひとつの政治を志向する。
6 なぐられる前に、計画・提案を住民主導でつくる
1960年代後半は、公害反対運動であった住民の動きは、専門家の創造的批判をきっかけにトーンを変えていく。広原盛明さん(ぼくの先輩、前京都府立大学学長)は、「住民運動は後追いだ。なぐられる前になぐられない状況をつくり、あるべき方向を提案すべし!」と新しい時代の前進への光を投げかけた。
このことがきっかけとなり、「真野地区20年後の将来構想」はつくられ、その成果は真野地区に生かされただけでなく、1980年の地区計画制度(地区レベルの住民参加の都市計画)を生みだし、日本全体にも影響を及ぼした。
7 合意形成は多段階・多様性を旨とする。
先の「将来構想」づくりに、大中小の多段階の集会が1年半の間に約300回行なわれた。その結果、当時7000人の人口の大方の共感を呼ぶ合意を得た。「提案」は「他人の土地の上にみんなで勝手に絵をかいた」段階から、その後の地区計画制度の適用によって、法的にルールでしばるやり方と、状況にあわせてルーズにすすめていく多様な合意レベルを生みだしていった。
住民組織は、どこにもある自治会などの地縁組織以外に、「まちづくり推進会議」(ハード面)、「ふれあいまちづくり協議会」(ソフト面)の地区全体のまちづくり・まち育ての中味を論じ運営していく場がある。加えて、「同志会」(30〜50才)のお父さんが元気なコミュニティづくりにかかわり、後継者養成の場として機能している。
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以上の7つの頭文字(アルファベット)をつないでみるとMEANINGとなった。即ち、ほんまもんの「まるい参画」のデザインとは、meaningの現実である。それは何のために、何を目指すか、即ち、新たな状況をつむぎだすことを意図するという心の動き、内的作用を住民間で共有するプロセスである。まるい参画のデザインでは、かかわる人々が危機感や夢をわかちあう感情体験の流れづくりが不可欠である。
民主的なヒューマン・ライフの哲学を論じているドン・キューピットの言葉を引用するならば「この世は私たちが互いに共有する感情の世界、つまりは共感の世界である」「私たちの感情体験の流れからひとつの共通世界を構成する・・・」といわれるように、自己の生の刷新とまちのあり方の更新を目指す「まるい参画」では、人々の「心の働き方」は「言葉の流れ方」とその共有を通して、meaning=生きることの意味のデザインに届くのである。
ベートーベンの交響曲第9番の第4楽章は、嵐のような序奏の後、以前の楽章が回想され、そののちに歓喜の主題の提示にはいる。バリトンがオーケストラの響きを否定した時、音楽の主体は声楽にゆだねられ、人類愛を高らかに歌いあげていく・・・。
Laufet , Bruder , eure Bahn (同胞よ、己れの道を進め)
これは、真野まちづくりの30年をわずかの時間に要点を創造的にすくいあげた宮西さんのドスのきいた声の内に響いていたことに通じるかに思える。
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