安弘思遊記8   −千手観音 |  上へ戻る  

 千手観音
今日のテキスト  桑子敏雄著「環境の哲学」、講談社学術文庫、1999年
今日の曲目  バッハ作曲、パルティータ第一番変ロ長調、前奏曲、ジャック・ルーシェ(ピアノ)

 プロフィール
桑子敏雄
 1951年群馬県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。同大学院人文科学研究科哲学専修課程博士課程修了。南山大学文学部助教授を経て、現在、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授。
 環境・生命・情報などの問題にかかわる価値の対立、争論、紛争を分析し、合意形成プロセスの理論的基礎を明らかにするとともに、実践的に応用するための手法を開発することなど。
 主な著書は「西行の風景」(NHKブックス)「環境の哲学」(講談社学術文庫)など
 7月16日(土)10:30−12:30、まちの縁側大樂2005の5回目(最終回)は、桑子敏雄先生(東京工業大学教授・哲学)による講演と質疑応答であった。講演タイトルは「地域に埋もれている合意形成の知恵―コミュニティ・ウィズダムの再発見」として、日本の文化にある利害の対立や紛争を解決するすぐれた知恵、みんなが生き残るための合意形成の知恵の掘り起こしが試みられた。

 聴衆は、遠くはハワイ大学からも、近くは会場近辺の住民に至るまで幅広い人々であった。桑子先生はむづかしいことをわかりやすく語られ、パワーポイントによる映像説明は、参加者の理解をいっそう楽しいものにした。

 先生のお話の要点を、最後に、次の7点にまとめてみた。


1  地域文化に埋め込まれた、千手観音のような柔らかい知恵への驚き = Wonder

 日本の文化には対立するものを両び立つ存在として描かれることがある。例えば、富士参詣曼荼羅図には、阿弥陀如来と観音さまが共存している。千手千眼観音菩薩像は、分けへだてなく一切のものの願いを満たすという柔らかく全てを包みこむ存在である。


2  我流だけでなく、たくさんの眼ざしを分かちあう複眼的思考、眼にみえないものへの洞察 = Insight

 広重の「深川萬年橋」の絵は、亀と人間の視線を重ねあわせられる日本文化の独自性を示しており、「視点の共存と視点のにぎわい」により、国土空間づくりへの多様な視点の重要性が指摘された。


3  意外なつらい対立をこえるために笑いと決断に赴く心 = Sense of Humor

 アマテラスが岩の中に閉じこもってしまった時、アメノウズメとタジカラオのアイディア豊かな踊りによって問題が解決されるという天岩戸神話には、土地相続と水管理に関わる紛争とその解決の物語が示されている。


4  納得できるまで対話をつづける実感的民主主義 = Democracy

 佐賀県白石町川津地区の縫ノ池では、40年間の水の枯渇の間、埋め立てることを「先送り」にし、納得いくまで議論をしつづけた結果、とうとう湧水が満々とたたえられる豊かな水の風景が復活した。


5  年や立場が変わってもみんな平等な開かれた関係 = Open

 中世惣村の合意形成システムにみられる入り会い地や共有資源の管理システム、紛争解決システム、ドキュメント管理システムにおける徹底したオープン性。


6  空間の場所性を生かすコミュニケーションと相互状況づくり = Mutual Situation

 「会所」は、ミーティングルームという場所であり、「寄り合い」は、そこでのコミュニケーションをさす空間的協働行為である。お茶やお菓子による相互に共感を分かちあう状況づくりの文化も見逃せない。


以上のようなキーワードの頭文字をたてにつないでみると

 「ちがいなっとく」となり、
 「違いを排除しないで納得の合意に至る」のこの日全体の共通キーワードが浮かびあがってきた。
 因みに、各行のアルファベットの頭文字をたてにつないでみると、WISDOMとなり

千手観音のように違いを排除しないで納得の合意に至る知恵= WISDOM

 が、桑子先生の最もいわれたかったことではないだろうか?

 ともあれ、この日の講演の前と後に流れたバッハのパルティータは、ジャズ風に演奏するジャック・ルーシェによって軽やかな気分をかきたててくれた。パルティータとは組曲とか変奏曲とかいった意味であるが、桑子先生によって語られた日本文化に埋めこまれた合意形成の知恵が、現代の新しい状況の中で多様に自由に変奏されていくことへの願いがこの曲想によって会場にたちこめていった。

 スバラシイお話と応答をしてくださった桑子先生に深謝。

 そして、5回にわたって、場を盛り上げ支えていただいた万博協会のスタッフの方々、そして、まちの縁側育くみ隊のスタッフに多謝。


安弘思遊記7   −親和物語 |  上へ戻る  

 親和物語
今日のテキスト  嘉田由紀子著「水辺ぐらしの環境学―琵琶湖と世界の湖から」、昭和堂、2001年
今日の曲目  ヨハン・シュトラウス作曲、ポルカ≪アイゼンとバイゼレ≫作品202 ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)他、Philips PHCP‐9558

 プロフィール
嘉田由紀子
 京都精華大学教授(環境社会学、環境人類学)、琵琶湖博物館研究顧問。1950年生まれ。京都大学大学院、ウィスコンシン大学大学院修了。農学博士。
 文化人類学の手法で琵琶湖汚染対策へのアプローチを進め、1980年代中頃より博物館の企画、開館にこぎつける。アフリカ、アメリカなど世界各地の水辺の比較研究を進める。日本水フォーラム副代表、環境社会学会会長。
 著書「環境社会学」「生活世界の環境学」、「水と人の環境史」など多数。Webサイトhttp://www.kyoto-seika.ac.jp/kada/


 5月29日(土)午前10時―12時、まちの縁側大樂2005の4回目は嘉田由紀子先生(京都精華大学教授)による「世界と日本の子どもと水環境―親和的つながりの回復・創造」のレクチャーと会場との応答であった。

 嘉田さんは、アフリカの民族文化色濃い布をスカート代わりにして舞台に立たれた。魚やクラゲが泳ぎ戯れる模様はこの日のお話の中味を伝えているかのようだった。


 主題に向けて彼女のプレゼンテーションのねらいは、

(1) 今、世界でも最も豊かといわれる日本の水辺の変化と子どものくらしのかかわりを、琵琶湖を事例に紹介。

(2) 今、世界で最も貧しいといわれるアフリカの小国、マラウイの環境の変化と子どものくらしのかかわりを紹介。

(3) アフリカと日本の子ども、その幸せの方向を考える。

というものであった。


 オリジナルにして意外性を次から次へと伝える映像とその意味することの語りは、具体的にして本質にふれる深さがあった。話をききながらその要点を漢詩4行詩風にまとめてみた。

   親  和  物  語

   水  辺  縁  側

   記  憶  起  幸

   恵  福  循  環

 嘉田さんの独特の調査法で特筆すべきことは、古い時代のある場所の写真と現代の同じ場所の定点観測したものを人びとに見せて、写真が触発してくれる記憶と語りを引き出す「資料提示型インタビュー」である。

 最初の1行目の「親和物語」とは、昭和30年代の琵琶湖湖畔に乳母車がうち上げられていた光景の写真と、同じ場所に立つ現代に生きる老女の姿の対比の中からみえてきたキーワードである。

 水辺に打ち寄せられた乳母車と若い女性のうつっている古い時代の写真を見たNさんは、突然に「これ私や!」とつぶやいた由。かつて貧しい中で8人の子どもを育てるのに、上等な籐でつくられた乳母車は、いわば「湖(うみ)からの贈り物」であった。ある場所にモノが置かれる時、そこにヒトとモノの親和的関係が生まれる場合と、何の関係もおきない場合がある。この場合は、ヒトとモノの間に引きあう関係とそれを慈しみ使うことによる親和的関係が生成していった。

 水辺環境から人影が消えてしまっている現代、漂着物はただのうち捨てられたモノに過ぎないが、ヒトがミズにかかわるくらし方がある状況では、両者に親和的な相互に浸透しあう関係が育まれていった。そこには水辺を媒介にヒトとモノの「親和物語」が成立している。

 とともに、「8人の子どもを育てるのに使わせてもらいました」というNさんの言葉には「人々に福を恵んでくれる神様が湖に住んでおられる」というような水環境への感謝と敬愛のココロがにじんでいる。ここには「神話物語」というもうひとつの「親和物語」を感じさせてくれる。

 第2のキーワードの「水辺縁側」。アフリカの子どもが水辺でゴミでオモチャをつくる等の遊び戯れる話に及んだ時のこと。まさに水と陸の境目が溶け合う場に、ヒト・モノ・コトがトキの流れの中で多様なカタチを織りなしていくメタファーとしての縁側の意味が、子どもの生彩あるふるまいと水辺環境の間に見えてきた時、嘉田さんは最前列にいた小生に近づいてきつつ「水辺は縁側ですヨネ。水辺縁側!」と嬉々として発話された。話をしながら自己の中に新しい意識と表現が湧水のようにあふれだしてきたようであった。

 第3に「記憶起幸」。先にふれた80才のNさんの記憶がよびさまされることによる人間と水のかかわりの幸せ感が起き上がってきたように、会場からの若者の発言の中に「今日の映像とお話を通して、子どもの頃父と川に魚つりにいった思い出がよみがえってきていい気分になりました」というのがあった。水は人にみずみずしい記憶の幸いをよんでくれる。

 第4に「恵福循環」。「日本は文明の発達によって、子供たちの生きる力をうばっている」と会場から鋭い指摘があった。近代システムのもとでは、上下水道の整備により、人は水の循環に無関心となり、無責任となっていった。水害に備えて治水一辺倒の護岸工事により、日常的に人が川に親しむ機会を喪失していった。しかし、利便性の享受の裏には、人が水環境とかかわることの不便さの中の豊かさを捨てていることを自覚すべきではないか。「水道と水洗便所が入ることが幸せであるとは限らない。」水の循環への配慮や川への親水的体験には一定のリスクやわずらわしさがつきものであるが、わずらわしさや不便さの中の真の豊かさとは何かについて反すうすべき時代に私たちは生きているのではないか。

 ところで漢詩はたてに読むもの。たてに読んでみてもそれなりの意味がたちあらわれてくる。とともに、斜めにも読んでみると、

 「語縁憶恵」−水とのご縁の世界を語りつつ、水への思いや過去を思いやる心という恵みに出あおう。

 「親辺起環」−水辺に親しむとヒト・ミズ・コトの環(わ)が起ちあがっていく。

 人間と水辺環境との親和的つながりは、こうして「たて」「よこ」「ななめ」の「何でもありの世界」に赴くことによってもたらされていくのではないだろうか。

 この日、嘉田さんは、現代社会にあって人が水をけぎらいする3K症候群があるといわれた。それは、「キケン」「キタナイ」「キモチワルイ」である。しかし、嘉田さんのお話と参加者とのやりとりを通して、新しい状況の中ではヒトとミズの親和的関係づくりのためには、「めくるめくわくわく」「みずみずしい」「めぐみぶかい」の3Mの実践的感覚の育くみが重要であることが明らかとなった。

 嘉田さんのお話は、会場に流れたシュトラウスのポルカのように、ユーモアとウィットに富んだ中味であり参加した人々に主題に向けてヤル気を促すものであった。多謝。


安弘思遊記6   −人間縁界 |  上へ戻る  

 人間縁界
今日のテキスト  オギュスタン・ベルク、篠田勝美訳、「風土の日本」、ちくま学芸文庫、1992年
今日の曲目  C.サン=サーンス作曲、クラリネット・ソナタ作品167、第一楽章:アレグレット、エンマ・ジョンソン(クラリネット)、ゴードン・バック(ピアノ)、ニッポンクラウンCRCB-1011

 プロフィール
オギュスタン・ベルク
 1942年生まれ。パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号(国家博士号)を取得。東北大学理学部(地理学)を客員研究員、北海道大学講師などを経て、1984年から88年まで東京日仏会館学長。現在、フランス国立社会科学高等研究院教授。
 風土学の視野を開拓し、画期的な独自の理論を構築するとともに、フランス日本学に新次元をもたらした第一人者。
 著書に「風土の日本」「空間の日本文化」(ともに、ちくま文芸文庫)、「風土としての地球」「都市の日本」(ともに、筑摩書房)、「日本の風景・西欧の景観」(講談社現代新書)、「地球と存在の哲学−環境倫理を越えて」(ちくま新書)などがある。




 5月7日(土)、「まちの縁側大楽2005」の3回目として、「空間の日本文化」などで著名なあのオギュスタン・ベルク先生のお話があった。「日本とフランスの<間>の比較―内と外をめぐる文化の違い」という魅力的なテーマのもとに、愛知万博・瀬戸会場・市民パビリオン劇場に集まった人々は、意識の高まりを自己の内に感じる実り多い時間(12:30-14:30)を過ごした。

 お話そのものは、決してやさしいものではないが、ベルク先生の含蓄に富む内容とユッタリと語られるスタイルが溶けあって、まるで心地よい音楽をきくかの感にみまわれた。4〜5才位のある女の子が、会場の座席の前の方でひとり、ベルク先生の話にききいっている様子にそのことが端的に示されていた。妙なる音楽的快感をはらむ哲学的言説の不思議な流れに耳を傾けながら、ノートをとりつつ要点を必死のパッチに下手な漢詩風にまとめてみた。何度も何度も書き直しながら、この日最後のまとめとしたものは次の通り。

   人  間  縁  界

   多  関  係  体

   方  向  想  像

   意  味  発  見

 先ず、横に読んでいくと、ひとつは「人間縁界」。ヒトは人間らしい世界でないと生きられない。ヒトはヒト・モノ・コトの間に特殊な関係が存在しなければ生きていけない。人間世界の基本条件は、自己とまわりの間の関係性=縁にあり、「縁側」はそのことをよく表現している。ハイデッガーは、近代はこうした関係からの離脱としての「脱世界」をもたらしたと述べたが、脱世界は人間存在の可能性や、関係の喪失をもたらしている。

 2つ目は、「多関係体」。19世紀のスペンサーの「人間の本質は個人なり」の思想と社会的しくみの拡大を通して、「近代は個の重視によって関係性は薄らいだが、その事が逆に個というものの特性や位置づけ、意味を薄めてしまった。「縁側」というシステムが実は関係性の維持に寄与する」(会場からの印象カードSさんのご意見)ことが強調された。一方、19世紀のデュルケムの「人間の本質は関係なり」の視点は、21世紀のコミュニティの関係性としての「ソーシャル・キャピタル」(社会関係性資本)の概念につながってきており、人間的絆や人間的連帯を紡ぐメタファーとしての「縁側」は、個人と社会の間の多様な関係体を育む可能性がある。

 3つ目は、「方向想像」。人間は、人と人の間の関係のあり方=文化の中で育まれていく。「間」のあらわし方が文化によって異なるが、「間」の方向をイメージする仕方によって、人間存在の根本が不安定化している近代をこえて、新しい時代の人間らしさを創発することができる。「間」の役割や意味を再生・再創造する方向の想像力をわかちあう場所が「まちの縁側」ではないか。

 4つ目は、「意味発見」。都市には、それぞれの地域毎に風土的特性を映した内外空間の境界領域があった。19世紀後半パリのオスマン風建築にはバルコニーがあり、雨が降ると人々はその下を歩きつつ、まちに生きるヒト・モノ・コトの関わりあいの人間的意味を実感した。日本には「縁側」があり、「縁側」は家(文化)と庭(自然)の間で象徴的第三者として働き、人々は内と外、こちらとあちらの何れをも排除しないでゆるやかにつなぐことの意味を生活の中で実感していた。人間が生きやすさを実感できる意味をたゆまず発見できる「縁側」の発想が、状況をつくりかえていく上では待たれている。

 漢詩は普通はたてに読むもの。そこで5番目は「界体像見」。モノは客体ではなく、境界・関係づけられた存在体であることを想い描き見ること、そのことは間を埋めるコミュニケーションやふるまいによって成立していく。北原啓司(弘前大学教授)さんは、午前中の加藤さんの自助具をからだにくっつけてふるまうことの表現と、午後のベルク先生のモノは客体ではなく関係であるという概念を見事に結びつけてみせた。

 6番目は「縁係想発」。ゆかり、かかわることへの想いを発しつづけることによって、人間らしい生き方を自己のものにしうる。

 7番目は「間関向味」。ヒトとヒト、ヒト・モノ・コトの間の関わりへの趣き(方向や味わい深さ)を分かちあうことが縁の視点である。

 8番目は「人多方意」。多くの人々の間でモノに意味を与える方向・センスをわかちあう時、縁・縁側の関係性が豊かに育まれていく。

 斜めにも同じような縁の文化の意味が読めるが省略する。


 ベルク先生の講演の前のプログラムでは、「三河のエジソン」と呼ばれる障害者でありながら創造的自助具開発者の加藤源重さんが演者であった。ベルク先生の話を聴かれた彼は「人間はチャレンジ精神であり、先生の木を「ヨジノボル」、川を「サカノボル」という言葉は共感しました。」と記された。また「私は昨年縁側を作りました。縁側での会話はすぐに時間がたち何となくココロがつながります」と発話され、べルク先生の縁・縁側の哲学を裏づける生活実践的意味が補われた。

 ところで、最後にフロアからの「風土性の重要性に気づくヒントは?」「人間の本質は縁にあることを多くの人に意識させるには?」の問いに対して、ベルク先生は2つの基本的答を明解に示された。ひとつは、人間らしく生きる術を広げていくためのコンセプトを論理的、抽象的にわかちあう状況づくりをすること。いまひとつは、詩的に語りかけることによって人々の心の中にみずみずしい方向感をひろげていくこと。後者については、ヘルダーリンの「人間は詩人として住んでいる」という言葉と、西行の詩にある「住むことはココロ澄むこと」の意を語りつつ、人間らしく生きるとは、モノをふみこえて縁があらわれてくる水平線のひろがる世界に身をおくことであると結ばれた。

 この日の冒頭の音楽は、サン=サーンスのクラリネット・ソナタであり、詩的で洗練された味わいに魅了される曲想であった。最後に、人の心に「縁側」の思想の深みへと意識の波動を呼びさます人間ならではの詩的コミュニケーションの重要性の指摘をもってしめくくられた。


安弘思遊記5   −機転協働 |  上へ戻る  

 機転協働
今日のテキスト  コリン・コバヤシ編著「市民のアソシエーション―フランスのNPO法100年」太田出版、2003年
今日の曲目  ショスターコービッチ作曲、交響曲第5番、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック、SONY SRCR9214

 プロフィール
南部美智代
鈴鹿防災まちづくりネットワーク代表。国内外の震災・災害コーディネーター
一色将行
86年サセックス大学大学院社会学研究科修了、現在、鈴鹿国際大学大学院国際学研究科長
コスティック・ステファン
ウクライナ生まれ、鈴鹿国際大学教授




 「みんなが安心して住めるまち育て―災害時の外国人のサポート」のテーマで、愛知万博・瀬戸会場・市民パビリオン対話劇場でのまちの縁側大楽2005のNO.2その始まりは、ショスター・コービッチのシンフォニーNO.5の第1楽章。モデラートで、悲劇的な力をもつ主題をカノン風に呈示してはじまる。低い深刻な音が円形劇場全体に響く。韓国の留学生の女性は足元が音によって震えているのを感じつつ「何がおこったか?と驚いた」と語ったように、会場には不穏な雰囲気がたちこめた。

 そこにスポットライトを浴びた南部美智代さん(鈴鹿防災まちづくりネットワーク代表、まちの縁側育くみ隊顧問)が舞台下手から「何がおこったんや、何がおこったんや」と呼びながら登場。次いで、上手から一色将行教授(鈴鹿国際大学大学院)が「地震や地震や」と絶叫しながらあらわれる。さらに舞台中央のスポットライトの中にポーランド語で大声をあげるステファン・コスティック教授(同)。こうしてこの日のワークショップは始まった。

 鈴鹿国際大学の留学生(ウクライナ、インドネシア、韓国、中国)8人を含めて、常時5、60名。南部さんのコーディネイトぶりは軽妙酒脱、臨機応変に、たゆまず留学生のみならず、会場の子どもや親や外国人などを舞台に引き出し、アドリブの応答を重ねていった。

 「助けて」「火事だ!」「消防自動車」などの非常時に各国が使う各国の言葉を人々は学んでいった。「テロだ!ふせろ!」の突然の大声に瞬時に床に身をふせたコスティック教授の名演ぶり…。

 「今日はいろいろな国の危機管理の言葉を教えてもらいました。自分の地域でどんな人がどこに住んでいるのかを知ることが先ず大切なことだと思いました。地域の縁を大事にすることが自分と他人の命を守ることに気づきました」の感想は、この日のワークショップの要点を適確に伝えている。

 “Experience is the best teacher”のコメントは、体験・交流型ワークショップのよさをいいあてており、そこからあえて概念的意味をくみとることは余計なことかもしれないと思いつつ、小生は、主題に向けてのキーワードを今後に備えるまとめとして、4文字熟語に綴ってみた。

   臨  機  応  変

   以  心  伝  心

   機  転  協  働

   縁  起  生  成

 状況の異変に対して、常にアドリブに、臨機応変に対応すること。

 自己と他者の間にテレパシーが走る、「以心伝心」のつながりを生み出すこと。

 どんな事態に対してもtactfulな機転をきかしたコラボレーションをひらく。

 次から次への縁の世界がひろがっていくこと。

 こうして横に読むとそれぞれのこのワークショップで語られ、演じられたことの意味がつかめる。漢詩風であるから縦にも読むと各行それなりの意味があらわになる。横も縦も読めるならナナメにもいけるかも…と右上から左下にスミに向けて読むと変化の状況をお互いに伝えると相互に助け合いの縁が転がっていく。

 左上から右下スミに向けて読むと心をこめてその場に臨めば、人と人の間の協働のかかわりが成立していく。  「巧妙な組合わせによって、つくられた漢詩みたいなキーワードは、漢字の国である中国で育てられた私にはよく理解できた」と中国人の留学生は反応をよこしてくれた。日本人参加者は「言葉をたて、よこ、ななめに読むと、新しい『発想』に発見があることに感動しました。『発想』の新しい考え、感じ方があって、新しい行動ができると思います。」

 新しい発想としては、一色先生や会場からは「いざというときは困りはてている人が他者に発しうる世界共通のマークをつくろう」の提案は、万博協会につなぎ、実現の糸口をみつけたいと思う。

 一色先生の発話の中に、「もし外国で災害にあったら、人権意識の最も高いフランス大使館がいちばんどの国の人々にも親身になって応対してくれる」という意のことがあった。そういえば、フランスNPOは100年をへているが、その根拠は、近代史の最も鮮烈な時代、フランス革命期から、自由と平等という新しい意識に裏打ちされた<近代市民>概念を大切にし、協働する権利を人間のもつ<自然権>として重視しているところにある。かの国では一国の市民だけでなく、越境的な<市民>概念が希求され、異種混交的、複合的世界の実現への志が人々にわかちもたれている。この日の経験を通して、「ローカルに経験し、グローバルに思考する」のみならず、「グローバルに交流しなおかつ連帯する」ことが、今日の地球市民に求められていることの一端にふえれた思いがした。


安弘思遊記4   −地縁と志縁 |  上へ戻る  

 地縁と志縁
今日のテキスト  ジョルジョ・アガンペン著、高桑和己訳、上村忠男解題「ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生」、以文社、2003年
今日の曲目  G.ロッシーニ作曲、弦楽のためのソナタ第1番ト長調、第一楽章、イ・ソリスティ・ヴェネティ、指揮クラウディオ・シシーネ

 プロフィール
乾 亨
1953年、博多生まれ。京都大学建築学科で延藤安弘氏に師事。大学院修了後、設計事務所勤務中にコーポラティブ住宅ユーコートづくりの運動に深くかかわり「住民参加の計画」に目覚める。その後、熊本大学大学院博士課程を経て、1995年から立命館大学教員。




 久々の「思遊記」だ。1シーズンぶりだから「週記」でなく「季記」。これは「危機」!しかし「危機」をバネにした「感動」の高まりがこのコラムに再び赴むかせた。

1 <まちの縁側大楽2005>が、愛知万博・瀬戸会場・市民パビリオン対話劇場ではじまった。4月23日(土)14時開始。はじまる2、30分前に30数名の方々が早くも舞台の最前列に座る。3月末に神戸へいった時、長田区真野地区の住民に「バス一台仕立ててきてや」と半ば冗談まじりでリーフレットを渡しておいたら、何と本当にやってきた。

 「お年寄りが安心して機嫌よう暮らせるまちがいいナ―イタリアの「まちの縁側」・日本の「まちの縁側」」と題して、乾亨立命館大学教授の講演。長年、そして今も若者たちのフィールドワークショップの場として、真野に出入りしている乾さんを求めて、神戸の住民たちはやってきてくれた。これは、「危機」をこえる「感動」の第1番目。

2 イタリア・ボローニャ市の高齢者社会センター(市内に35箇所)のひとつジョルジョ・コスタでは、元気な老人たちが自分たちの安心居場所を企み、運営している。毎日バール(カフェ)、カードやビリヤード等、週何日かクレセンティーナ(揚げパン)やピザなどのコモンミール、週末や夏休みにはダンス等々。乾さんの一年間の留学の成果の現場の映像が生き生きと、かの国のお年よりのくらしの風景を伝えてくれた、例えばダンスに興ずるカップルの年の合計が177才!静かに寄り添いあうふたりのこの上ない柔和な聖なる表情......。これは感動の2番目。

3 日本は京都・春日地区と神戸・真野地区の高齢者と多世代住民との日常・非日常にわたる多様なつながり。日本のまちの縁側が「地縁」をベースにしているのに対して、イタリアのまちの縁側は、そうではなく、高齢者が自ら創造的な生をつむぐ志のネットワークによって成立している。「地縁」に対して「志縁」という言葉が心の中に突如思い浮かぶ。3つ目の感動。

4 講演に引きつづいての質疑応答は、感想・質問ともに量・質において豊かであった。中には、30代半ばの男性は「今日の講演は、まさに偶然聴けたのですが、良かったです。人が人として、自分ができることを通して生きていく社会のしくみが実在するのだ、という事が分かったことに、とても希望を感じました。」…「今日の講演はいずれ自分が何かを始める時の“肥やし”に確実になった」の発話にはじまる質問と乾さんの丁寧な応答があった。これも感動しきり。


5 最後にまとめのキーワード。高齢者がキゲンよくくらせる町の条件6点。

   まろやかな居場所とつながりと生きがいの実現

   地縁と志縁の統合

   のんびりネットワークときもちのよい「スキマ」(空間)を生かす(ソフトとハード)

   緑の不思議さと笑顔のあふれ

   我流持味おすそわけと自主運営

   わくわく思いやりと楽しさは元気の素

 もちろん、頭文字をつなぐと韻をふんで「まちの縁側」となった!


 大久保康雄さんの意見カードには「地域福祉はシステムありきじゃなくて、想いありきで、まちの縁側は予防医学にもつながる!」と記されていたのは、全体をくくる見事な指摘。ところで、このまとめのファシリテーショングラフィック(FG)をやってくれたのはいよちゃん(川澄一代)。彼女は「しえん」を「支援」と書き、ぼくは「志縁」やと訂正したら、乾さんは住民参加のまちづくりや地域でのやりとりにはよく「私怨」によるぶつかりあいがあり、そのトラブルがエネルギーに変わる時もある……と発言した。突差に思いが触発しあう現場を生みだしたのはいよちゃんのせい。後で聞くと、この時のFGは何とはじめての由。いよちゃんの鮮烈のFGデビュー!5つ目の感動。

6 この日まちの縁側育くみ隊のスタッフは、タケちゃん(渡邊丈紀)、コイケちゃん(古池弘幸)の20才代前半の若きプロジェクトリーダー、参謀をはじめとする老若男女21名。参加者のアンケートには「NPOの方々のバタバタぶりがほほえましかった」とあったが、何のことはない、ぼくはひたすらその底力ともてなしの心のあつい応援に感動と感謝!

7 日本もイタリアもお年寄りが安心して機嫌ようくらせるには、彼らを生物的存在としてみなすだけではなく、ひとりひとりと集団に特有の個性的で豊かな生き方を尊重し支援するしかけ・態度が非常に重要だとあらためて感じた。イタリア人批評家のジョルジョ・アガンペンは、古代ギリシャの人々(ヴィータ)(生)という言葉の中に、ゾーエー(zoe、生きているという生物的事実)とビオス(bios、それぞれの個体や集団に特有な生きる形式、生きかた)の2つの語の意味に着眼しつつ、人間の生きる権利のあり方を論述している。

 今日の高齢者福祉が、人の属性や健康の客観的条件によって、即ち「ゾーエー」の視点からの彼らの生そのものの管理のシステムを行政は統治行為の中心に置きがちである。しかし、この日語られた「地縁」と「志縁」の組み合わせによる日伊両国の生きた事例は、「ビオス」という人間の生き方の日常的豊かさを創造する取り組みであった。「人間に特有のビオスがいとなまれる場がポリスにほかならない」(p.266)という指摘は、まちの縁側の育くみにとって示唆的である。なぜならば、ポリスとは、自分たちのまちは自分たちで守り育くむことに創造的にかかわり行為する歴史的な存在としての市民の安心居場所だからである。この日の縁側大楽は、同時代のまちの縁側づくりが、これからのくらしとまちの育くみの方法論であることへの気づきを促してくれた。これは7つ目の感動!


 講師がしゃべり始める直前に流したロッシーニの「弦楽のためのソナタ第1番」は、この日の数々の感動を予見させるかの如きメロディーであった。そして閉会宣言とともに再びこのメロディーが流れた時も、今日の波のような感動を参加者間でわかちあえたという喜びの気もちが曲想ににじんでいた。

<まちの縁側大楽2005>はこうして始まった。5月2日、同7日とすぐさま次回が迫っている。願わくば、より多くの方々のご参集があることと、実り多い対話の場が生まれんことを……。


安弘思遊記3   −まるい参画 |  上へ戻る  

 まるい参画
今日のテキスト  ドン・キューピット著、山口菜生子訳:最後の哲学、青土社、2000年
今日の曲目  ベートーベン:交響曲第9番「合唱」、ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ 放送交響楽団、RCA、BVCC8925/26

 プロフィール
宮西悠司
 昭和19年横浜市生まれ。東京都立大学建築工学科卒、昭和45年から神戸・地域問題研究所を主宰、昭和6l年まちづくり(株)コー・プラン取締役。神戸市まちづくり専門委員を務める一方、住民主導型のまちづくりを提唱。真野地区など住民の中に直に入って、街再生の助言を積極的に行い、最近は、まちづくり狂の狂祖と呼ばれる。また「神戸の建築を考える会」の事務局長として、近代建築保存運動の推進役ともなっている。
 12月18日、神戸の兵庫県公館で「場と縁の継承・再生」というテーマで国際会議があった。山口半六が設計したフランス・ルネッサンス様式の会場は、貴婦人のような清々しい表情をもった人々をつつみこむ親密な空間であった。

 プロジェクト・リーダーの桑子敏雄先生(東京工大教授)、実行委員長の岡田真美子先生(兵庫県立大学教授)と仲間たちの全体企画とプログラムは感動きわまるものであった。ぼくは、1日目のパネルディスカッション「空間の継承と再生」と2日目のワークショップ「参画のデザイン」を担当したが、ここでは、後者についてふれておきたい。


 この会議は震災10周年記念にも位置づけられており、会場が神戸でもあるので、ワークショップ「参画のデザイン」の冒頭、ぼくは長田区真野地区の震災前後の住民主体のまち育てとコレクティブハウジングづくりの「ゲントーク」(幻燈会+トーク)を行なった。その後、これを糸口に討論が行われた。幸いにも、当日その場には、真野地区に30年かかわり続けている自称「まちづくり教祖」宮西悠司氏がいたので、参加者からの質問に対して、彼からまことに深い示唆に富む話をしていただいた。この日の真野まちづくりの応答を通して「参画のデザイン」の普遍的条件のキーワードが次のように明らかにされた。


1 まるい参画
 世間ではワークショップをやれば、参加のデザインができたと思う節があるが、それは応々にして形式的な参加、アリバイ的参加に陥りがちである。それは△。むしろほんまもんの「○い参画」とは何かが問われねばならない。真野のまちづくりの全過程には、次のような「まるい参画」の諸条件がひしめいている。

2 地域文化のタンケン・ハッケン・ホットケン
 地域固有のくらしの文化のタンケン・ハッケン・ホットケン−ドナイスルケン?を真野ではやってきた。例えば、戦前長屋街区には路地文化が残っていた。そこでは、「家は狭いけど心は広い」と語る住民たちが住んでいた。この生活文化的資源は、コレクティブハウジングをつくる時に、続きバルコニーとして生かされ路地文化の継承・再生を果たされた。

3 按配のいいつながり
 まち育ては、人と人の間を育くみつづけることにつきる。創造的まちづくりとは、人間関係づくりのソフトをエネルギーにしてハード(空間)づくりに至ることであり、ハードとソフトの間に相互に浸透しあうつながりのデザイン・プロセスである。

4 ネゴーション、議論の場の豊かさ
 宮西さんは、まちには政治があるという。国の政治に国会議事堂があるように、まちにもまちづくり議事堂がいるのではないか。フォーマルな議事堂での討議の前後には、赤坂の料亭で密談が行われるように、真野では、飲み屋で住民たちはまちづくりをサカナにして酒を酌みかわし、対立的課題を接渉しつつ解きほぐしているという。このインフォーマルな対話の場の豊かさが、まちづくりのダイナミズムを支えていく。

5 所謂生活者としての住民のイメージをこえて、政治的存在としての住民
 政治家が対立を好み、対立をバネにして自己の存在証明をしていくように、地域住民も所謂生活者としての立場をこえて、利害調節を創造的にはかる政治的動きをする。しかし、住民は利権の構図の中にはまる「政治」ではなくて、まちの未来と子どもの世代のために、何を目指すかというコンセプトを生命のように大切にする高い立場からの、そして、トラブルをエネルギーにかえるというしなやかな発想からのもうひとつの政治を志向する。

6 なぐられる前に、計画・提案を住民主導でつくる
 1960年代後半は、公害反対運動であった住民の動きは、専門家の創造的批判をきっかけにトーンを変えていく。広原盛明さん(ぼくの先輩、前京都府立大学学長)は、「住民運動は後追いだ。なぐられる前になぐられない状況をつくり、あるべき方向を提案すべし!」と新しい時代の前進への光を投げかけた。

 このことがきっかけとなり、「真野地区20年後の将来構想」はつくられ、その成果は真野地区に生かされただけでなく、1980年の地区計画制度(地区レベルの住民参加の都市計画)を生みだし、日本全体にも影響を及ぼした。

7 合意形成は多段階・多様性を旨とする。
 先の「将来構想」づくりに、大中小の多段階の集会が1年半の間に約300回行なわれた。その結果、当時7000人の人口の大方の共感を呼ぶ合意を得た。「提案」は「他人の土地の上にみんなで勝手に絵をかいた」段階から、その後の地区計画制度の適用によって、法的にルールでしばるやり方と、状況にあわせてルーズにすすめていく多様な合意レベルを生みだしていった。

 住民組織は、どこにもある自治会などの地縁組織以外に、「まちづくり推進会議」(ハード面)、「ふれあいまちづくり協議会」(ソフト面)の地区全体のまちづくり・まち育ての中味を論じ運営していく場がある。加えて、「同志会」(30〜50才)のお父さんが元気なコミュニティづくりにかかわり、後継者養成の場として機能している。


 以上の7つの頭文字(アルファベット)をつないでみるとMEANINGとなった。即ち、ほんまもんの「まるい参画」のデザインとは、meaningの現実である。それは何のために、何を目指すか、即ち、新たな状況をつむぎだすことを意図するという心の動き、内的作用を住民間で共有するプロセスである。まるい参画のデザインでは、かかわる人々が危機感や夢をわかちあう感情体験の流れづくりが不可欠である。

 民主的なヒューマン・ライフの哲学を論じているドン・キューピットの言葉を引用するならば「この世は私たちが互いに共有する感情の世界、つまりは共感の世界である」「私たちの感情体験の流れからひとつの共通世界を構成する・・・」といわれるように、自己の生の刷新とまちのあり方の更新を目指す「まるい参画」では、人々の「心の働き方」は「言葉の流れ方」とその共有を通して、meaning=生きることの意味のデザインに届くのである。

 ベートーベンの交響曲第9番の第4楽章は、嵐のような序奏の後、以前の楽章が回想され、そののちに歓喜の主題の提示にはいる。バリトンがオーケストラの響きを否定した時、音楽の主体は声楽にゆだねられ、人類愛を高らかに歌いあげていく・・・。


Laufet , Bruder , eure Bahn (同胞よ、己れの道を進め)


 これは、真野まちづくりの30年をわずかの時間に要点を創造的にすくいあげた宮西さんのドスのきいた声の内に響いていたことに通じるかに思える。


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 姉妹NPO成立
今日のテキスト  野村喜和夫:ニューインスピレーション、書肆山田、2003年
今日の曲目  ベートーベン:弦楽四重奏曲 第11番 へ短調 作品95「セリオーソ」

 プロフィール
SAHS
SAHS(サース)は、世田谷オルタナティブハウジングサポートの略であり、住まい・場づくりを支援するNPO法人である。
 11月20日(土)の午後1時―5時。世田谷の「住まい・場づくり実践塾」のメンバーが、NPOまちの縁側育くみ隊を来訪し交流的学習会が行われた。世田谷グループはSAHS(Setagaya Alternative Housing Support)の活動において、私たち以上に、まち角に開かれたユニークな「まちの縁側」的なる場をつくっているのに、何故か井上赫郎・文さんをはじめ14名もわざわざ名古屋まで来られた。育くみ隊側も10名参加(森登、高野、新谷、中島、渡辺、古池、石川、中野、土屋、延藤)。橦木倶楽部のお座敷で育くみ隊が生まれるまでと今日の活動の様々を「げんとーく」(幻燈会+トーク)でプレゼンテーション。その後、質疑応答。

 「キッチン石川」のリンゴケーキとコーヒーのもてなしに、参加者はしきりに感動しておられた。質疑は多岐に及んだが、ひとつ関心を呼んだのが「エンガワ・デザインの方法」であった。具体的には、一宮市の宮前三八市広場の事例を通してその方法的特徴をお話した。太子堂・三宿地区まちづくりに1980年から、住民主体のまちづくりに情熱的な専心を持続しておられるあの梅津政之輔さんによると、この話の中で「神社側に土地を取り戻す」「延藤は出て行け」・・・の住民側の強い反発をめぐって、神社の禰宜の松井さんが短時間に歴史的真実(政教分離の原則)をかんでふくめるように住民に話し、反感を共感に変えたことに最も感動された由。トラブルをエネルギーに、対立を力に変えたことにおいて、松井さんの話の内容に彼は驚きの声をあげられた。

 また、梅津さんは、約20年前にぼくが世田谷での幻燈会で絵本「プラムおじさんの楽園」をおみせした時のことを思い出されながらこういわれた。「こんなにうまくいくはずがない」「大学の先生は理想をいっているだけ」と。これに対して、山内洋さん(杉並区のNPO法人まちづくりに夢をつなぐ会代表)はこうきりだされた。「梅津さんのその反応は、地獄谷のサルの話を思い出させる。地獄谷の温泉に最初に入ったのは子ザル、次いでメスザル、年配のオスザルは最後まで入るのを躊躇した。サルも人間も年いった男性が一番疑い深いか、心がねじまがっている・・・」と。

 この発言をめぐって大いに笑いで盛り上がったことろで、おしまいの時間が迫ってきた。ぼくはこの日の生き生きとした応答の中で共有できたキーワードを次の4点に束ねた。


1 サルにも学ぶやわらかい発想を大切に。

対話と参加の場では、人間がこんなに面白いものかと思うことが度々あるが、イヌもネコもサルにも学ぶ中味があると思える包摂的態度が大切。


2 アンティの心は、何か創造的なことにつながる。

梅津さんは、いつも疑問や批判の視点をもって状況にかかわりつつ、常に相手との相補的創造関係を生む流れをつくられる。

3 開かれた半公共空間を私的領域につくる。

梅津さんは、20年後の最近になって、「プラムおじさんの楽園」を自分ので実践し、その成果がある財団主催の全国まちなみコンクールで100選に選ばれたことがこの日発表された。自分の敷地を外に開きながら周りにつないでいくと生活景観がにじむ豊かな個性的都市景観が形成されていく。

4 相互交流は相互触発の場を生む。

この日のような交流的学習の機会は、お互いに啓発し合い高まりあえ、インスピレーションを分かちあえる。


 「ニューインスピレーション。世界へと私を開き、電源に接続するようなやり方で世界との交流を果たすこと。何が伝わるか、伝わらないかということだけが問題なのであって、説明すべきことなどほとんど何もありはしないというように。」

 住民主体のまち育てでは、いつも、かかわる人々のやりとりに必ず精神がインスパイアされるとともに、突然インスピレーションが閃光のように自己の中に照らし出され、新しい世界におもむきうる幸せに接する。今日もまさにそうであった。


 これはベートーベン中期の弦楽四重奏曲の最後に位置する作品である「セリオーソ」のようだ。ベートーベンをきくとインスピレーションをもらうことが多いが、この曲は「全体に響きが重厚になり、おごそかで渋い表情のものとなっている」ので、まるで梅津さんの反骨心と渋さを映し出しているようだ。ベートーベン自身が草稿に記した“Quartett serioso”は「まじめな」とか「厳粛な」という意味であるが、「反発を力に変える」ことに鋭い共感を示された梅津さんの心情を描いているようだ。


 昼間の集いの後は、MOMOの見学。そして、有志で長屋活用型食べ処「風」へ。そこでは、うって変わってにぎやかな笑いと語りが夜おそくまで続き、世田谷ご一行様は最終新幹線で帰京された。その場の雰囲気のキーワード。


1 「しあわせとは何か」を根源的に問いつづけることが人・まち育て。

2 あやしげで面白い取組みを。

3 花を愛でる心が世界を変える(梅津さんが芭蕉の句、「なずなの花・・・」についてふれられた)。

4 姉妹NPOになろう。―NPO・まちの縁側育くみ隊とNPO・SAHSは今後も機会あるごとに連携しあおう。


 昼のまとめも夜のまとめも、韻をふんでキーワードの頭文字(アルファベット)をたてにつないでみると、どちらもSAHSになっていた。両方の言葉の花束は、SAHSの方々へのささやかなおみやげであり、私たち育くみ隊へのはげましであり、これからの抱負であった。


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 まちの魅力づくりABC
今日のテキスト  大川勇:可能性感覚、松藾社、2003年
今日の曲目  バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)BWV1007-1012、ヨーヨー・マ(チェロ)、ソニーSRCR1955-6

 プロフィール
えんスポ
えんがわスポットの略。愛知県岡崎市康生地区にあり、康生地区を元気にする建築デザインオフィスである。
 10月31日(日)、岡崎市康生地区の生涯学習拠点の設計ワークショップが終わった後、三矢君コーディネートのもとに「えんがわスポット」で有志による学習会をやった。「えんがわスポット」とは、このプロジェクト推進のために、敷地に近い商店街の空店舗を活用して、市民の出入り自由な設計者常駐の開かれた場である。略して「えんスポ」。

 この日の「えんスポ」談議のテーマは、康生地区の公共交通。国土館大学の都市システム工学科の寺内義典講師が、駐車場や公共交通のあり方についてわかりやすく話していただき、「フリンジ・パーキング」などについて、参加者での自由応答がくりひろげられた。

 寺内さんは、中心市街地活性化のためには、基本的にまちの魅力づくりが大切であり、交通はそれを支える手段であるとメリハリのある公共交通ABCを語られるのを聞きながら、ぼくはまちの魅力づくりABCを思いうかべた。

 まちの魅力づくりABCとは次の通りである。先ずは、Amusing、楽しさづくり。この日の午後のワークショップの始まりの時の短い幻燈会で、ロンドンのコベントガーデンのストリートミュージシャンをとりあげた。しかし、「えんスポ」談議では天野君が、高校時代から康生地区でパンク仲間となんと!「限界破滅GIG」というロックを路上で演奏してきており、今も3、4ヶ月に一度はライブをやっていることが明るみとなった。岡崎には、ライブなパフォーマンスをやるグループがいくつもある由。ものをつくる前から、こうしたライブを引き出し、相互に楽しみあい、評価しあう活動を育くむことがまちの魅力づくりにつながるであろう。

 次いでまちの魅力づくりのキーワードは、Branding、魅力の創出のブランド・イメージづくり。この日の談論風発の中で、高野潤さんは、これからの地域創造には、まちを売り出す戦略戦術としてのブランド命名がいるといわれた。天野君も「康生の施設の呼び水としてのキャッチフレーズがいる」と強調した。この日のワークショップでは「子どものための日本一の図書館」などが提起されたが、「長浜・黒壁」「赤岡・冬の夏まつり」のような人々にピンと響くブランド表現、創発のしかけがいる。

 3つめは、Cultivating、まちを耕やす文化活動。特に子ども・若者に注目。例えば、地域の大学(4校)の若者が、コミュニティデザイン、社会造形などをまちのなかでクロスさせ学び提案するしかけ。また、図書館機能のなかに大学のある学科の図書室を位置づけ、ある分野の蔵書は量質ともにピカ一にする等々。

 若者がまちを学び舎にしつつ、自分とまちの両方を耕やす活動は幅広い子どもたちにも期待できる。ワークショップに参加している城北中学校の子どもと先生が目指している総合学習の方法開発を行ない、康生地区から岡崎の全ての小学校(52校)、中学校(27校)の総合学習の新しい方法モデルを提起していく、といった構想も考えられる。

 まちの魅力づくりABCとしてのAmusing、Branding、Cultivatingは相互につながりあっているものであるが、これを実践していくためには、「可能性感覚」というキモチのもち方が必要である。「可能性感覚」とは、ありうるかもしれぬ「まちの魅力づくり」にむけて、枠組や常識にとらわれない自由でのびやかな精神を生みだすことである。

 ムージル(1880−1942)というオーストリアの哲学者は「可能性感覚」を「現にあるものを別様でもありうるものと見なし、現実の背後に可能性として、潜在する無数の世界を呼びおこすことによって、現実という固定した枠組みからの超出をうながす意識感覚ないし思考能力のこと」とした。

 「可能性感覚」は、必然性だけでなく偶然性への認識(楽しさは偶発性の恵みを与えてくれる)、潜在するエネルギーに表現を与える(人の意識を喚起するキャッチフレーズづくり)、新しい状況を創出する(子ども・若者のまちへの創造的かかわり)というまちの魅力づくりABCを実現しうる基本のキである。

 このような「可能性認識」を内面からかきたててくれる音楽といえば、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲。ここ数日、毎朝これを聴きながら1日が始まる。

 「ジーグの際限のない喜こび。ブーレの陽気な軽やかさ、サラバンドの瞑想性と深い精神性。……この音楽はそんなにたくさんの音符を使っているわけではないのに、感性と表現の無限とも思える宇宙への扉を開く。」

 第3番において、「フォーリング・ダウン・ステアーズ」の映像ディレクターであるB.W.スウィートはこう語っていることに、全て○○である。

そのうち、康生の路上か屋外空間で、パンクの「限界破滅GIG」とバッハの「無伴奏チェロ組曲」が鳴り響く時に出あいたいものだ。


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 批判と創造が繁茂する場所
今日のテキスト 
今日の曲目 

 プロフィール
延藤安弘
 レンゲ畑のひろがる大阪に1940年12月生まれる。北海道大学工学部建築工学科卒業、京都大学大学院修了。京都大学助手、熊本大学教授、名城大学教授、千葉大学工学部都市環境システム学科教授をへて、2003年4月からNPO法人まちの緑側育くみ隊・代表理事。2005年4月から愛知産業大学大学院教授。工学博士。
 京都のコーポラティブ住宅ユーコート、熊本のもやい住宅Mポート、神戸の真野地区まちづくり、世田谷のまちづくり、千葉・高知・北海道・名古屋圏等、全国各地の住民主体の住まい・まち育てにかかわりつつ、名古屋・中部圏でまちの縁側MOMOを根拠地にして、公共施設設計への市民参画、まち育て塾、まちの縁側大楽等に身をのりだしている。


 「まちの縁側育くみ隊」は何をやっているところなのかという問いをよくいただきます。ホームページがようやく立ち上がりましたので、いろいろとやってきたことや、たくさんの想いの一端を世に発信していきます。

 「縁側」では、未知の始まりに邁進する格別の瞬間を楽しみたいと思うとともに、NPOまちの縁側育くみ隊は、批判と創造が繁茂するトポス(場所)でありたいと念じています。

 これから週1回ぐらいのペースで、NPO活動にかかわる想いを綴っていきますので、この欄を<安弘思遊記(あんこうしゆうき)>と称します。「週記」を逸脱して時にはおくれ気味のために「月記」になることもあるかもしれません。いろんなご批判やアイディアをいただけると幸いです。


 よろしくお願いします。



 2004年10月26日

 まちの縁側育くみ隊代表理事 延藤安弘
コミュニティー
安弘思遊記
8 千手観音
7 親和物語
6 人間縁界
5 機転協働
4 地縁と志縁
3 まるい参画
2 姉妹NPO誕生
1 まちの魅力づくりABC
0 批判と創造が繁茂する場所
スケッチブック
ブログ
(大久保康雄「風の記憶」)
まちの縁側育くみ隊

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